【0062】国税不服申立て制度の歴史(戦前編)

1.所得税における不服申立ての制度

我が国に初めて租税についての不服申立ての規定が設けられたのは、明治20年に所得税法が制定されたときです。

当時の所得税は、郡区長が課税していたが、その賦課決定処分に不服のある者は、その処分の通知を受けた日から20日以内に、郡区長の上級行政庁である府県知事に対して、不服申立てを行うことができるとされていました。   

明治23年になると、行政争訟に関する一般法である訴願法が定められ、同法第1条に訴願のできる事件として、

一 租税及手数料ノ賦課ニ関スル事件
二 租税滞納処分ニ関スル事件

 が掲げられており、所得税のように税法で規定されているもの以外の不服申立ては訴願法が適用されることになりました。

明治29年に税務機構が変わり税務署及び税務管理局が設置されたことに伴い、所得税の不服申立ては税務管理局長(後に税務監督局長、財務局長を経て国税局長となります)に対して行うことになりました。

明治32年には所得税法が改正され、不服申立ての名称が「審査の請求」と改められ、審査の決定に対して不服のある者が、訴願又は行政訴訟を行えるようになりました。

2.審査の請求

この「審査の請求」は、賦課決定処分をした税務署長を経由して、処分の通知を受けた日から20日以内(昭和23年の所得税法改正により「1か月以内」 )に行うことになっており、この審査の請求が行われると、税務管理局長等は、審査の請求事案を「所得審査委員会」に諮り、原則としてその決議により「決定」しなければなりませんでした。

この所得審査委員会は、収税官吏3人とその税務管理局所轄内の納税者の中から選ばれている所得調査委員4人で構成されていましたが、収税官吏から選ばれる審査委員は大蔵大臣が任命し、所得調査委員から選ばれる審査委員は、税務管理局所轄内の所得調査委員が選挙する仕組みでした。

この所得審査委員会の制度は、明治32年以降その構成に若干の改正はあったものの昭和22年まで存続します。

その後、昭和22年に所得税法の全面改正が行われ、申告納税制度が採用されましたが、従来の賦課課税制度から民主的な申告納税制度に切り替えられたにもかかわらず、昭和22年から昭和24年頃までは闇取引の横行、インフレーションの高進等混乱する経済社会とインフレーションによる名目的所得の増加に伴う租税負担の増加という悪条件のために、国民の納税意識は極端に低下し、所得税の申告額も低く、それに対して大量に更正・決定が行われたことから、審査の請求も大幅に増加することになりました。

この審査の請求の制度は、昭和25年に協議団が設立されるまで継続されます。

3.請願又は訴訟

税務管理局長等の審査の決定になお不服のある者は、大蔵大臣に対する訴願又は裁判所(旧憲法下では行政裁判所)への訴訟のいずれかを選択することができました。

ただし、訴願は、審査の決定を受けた日から30日以内に税務管理局長等を経由してしなければならず、訴願を選択した場合は訴訟を提起することはできませんでした。

なお、訴願は明治23年制定の訴願法に基づくものであり、訴訟は同年制定の行政裁判法及び「行政庁ノ違法処分ニ関スル行政裁判ノ件」という法律に基づくものでしたが、昭和25年に協議団が設立されてからは、訴願制度は税務争訟については適用されないことになりました。

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