【0066】国税不服申立て制度の歴史(協議団の取消割合)

1.審査請求事件の発生・処理状況

協議団が発足した昭和25年度は発生件数が非常に多く、約22万件に及んでいました。

これは、昭和22年から昭和24年頃までは、闇取引の横行、インフレーションの高進等混乱する経済社会とインフレーションによる名目的所得の増加に伴う租税負担の増加という悪条件のために、国民の納税意識は極端に低下し、所得税の申告額も低く、膨大な数の更正・決定が行われたためです。

その後、審査請求件数は、更正・決定件数の減少とともに、昭和28年度の約1万6,000件をピークに減少し、昭和34年度には約4,000件となりました。

しかし、昭和37年度から再び増加傾向を示し、昭和42年度には約1万2,000件に達します。

これは、昭和37 年の行政不服審査法の制定により、処分庁が処分を行う場合には不服申立てができる旨等を教示する制度が設けられたこと及び納税者の権利意識が漸次高まってきたこと等によるものと思われます。

審査請求により納税者の主張が認められて原処分の全部又は一部が取り消された件数の割合を見ると、 昭和29年度以降おおむね50.0%前後の水準を保ってきましたが、昭和39年度からは低下の傾向を見せ、昭和42 年度には38.0%にまで低下しました。

しかし、昭和43年度には46.0%と上昇し、昭和44年度には48.0%となっています。

2.協議団に対する評価

協議団は、シャウプ勧告に基づき設置されたものですが、その基本的な考え方は、税務署等の執行機関とは別に、第三者的並びに客観的立場で公平に審理するための機関によって、納税者の不服の審理に当たるということであり、これは、当時の不服審査制度にはなかった全く新しい考え方を導入したものでした。

その後の社会経済情勢の変化に伴って、協議団は昭和45年4月30日をもって役割を全うし、不服審査制度として新しく国税不服審判所が発足することになりましたが、この協議団制度は、20年間にわたり納税者の正当な権利の救済を通じ、我が国の申告納税制度の定着とその発展に貢献してきたといえるでしょう。

3.国税庁長官による総括

昭和45年4月30日に当たって、吉國二郎国税庁長官から次のとおり告示が発せられています。

本日をもって協議団は発展的に解消し、明5月1日から新しく国税不服審判所が発足することとなった。
顧みるに、協議団は、昭和25年7月にシャウプ勧告に基づいて賦課徴収部門から独立した特別の部局として設けられた。
この協議団は、それまでに見られなかった制度上の特色を備え、当時におけるきわめて革新的な行政救済機関として注目されたところである。
爾来20年、協議団は、納税者の正当な権利を救済することを通じてわが国における申告納税制度の定着と納税秩序の正常化に多大の貢献をしてきたのであるが、これもひとえに協議団の諸君の永年にわたるひたむきな努力の結果であり、その業績に対し、あらためて深く感謝の意を表する次第である。
新しい国税不服審判所は、行政上の権利救済機関としては今日考えられる最も進んだものであり、このような立派な機構をつくり得たのも、協議団が20年間の歩みの中に営々として築き上げてきた貴重な実績があったからにほかならない。
協議団は解消しても、これまでに磨き上げられたその精神は脈々として新しい審判所の中に生き続けていくものと確信している。
今後諸君は、それぞれの職場において、これまでの協議団における貴重な体験を生かし、更に税務行政の発展のためにいっそう尽力されんことを期待するものである。

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